商売道具について。

きのうから今日にかけて、某社様の「製品紹介パンフレット」計9Pを作成しておりました。イラレ&フォトショと首っ引きでありました。9Pっていうのはよく考えたら不思議なページ数ですが、いいんです。
本来ならデザイナー様にお願いするところなのですが、予算が乏しく納期もややキビシいような場合は自分で作ります。乏しい予算なりのクオリティであることは自覚しております。
 
完全に専門外っていうかもはや門外漢の分野ではありますが、「撮影」と違って、対象が逃げていかないってのは、これはかなりデカい要素です。撮影の場合、二度と撮り直しできないようなケースもあるので、それはそれは緊張します。
 
撮影現場におきましては、ときどき他社様のクルーと一緒になることがありますが、撮影作業に相対する際の心の置き方につきまいsては、これはもう千差万別、テキトーにやってんなぁと思うこともあれば、ああ、ちゃんとしてるなぁこの人、と感じることもあります。後者は無条件でリスペクトの対象となります。
 
いつだったか、カメラを三脚に付けたまま、三脚を担いで移動してる人をみました。
昔と違ってカメラも軽量化されてますが、それにしたってもし三脚とのアタッチメントが外れたらカメラは間違いなくおシャカになります。
おっかないことやってんな・・・と思ったものです。
 
大昔いっしょになったカメラマン氏は、若い頃、ちょっとでもヒマがあったらカメラを触ってろ、マニュアルは100万回読め、とサンザン言われたそうです。
そこまですることもなかろうとは思ったりしますが、商売道具ですからまぁそれくらいやって当然なのかもしれません。そういえば、商売道具を大事にしない人は、確かに大したものは作れてないです。撮影に限らず。
黒澤の「どん底」、東野英治郎演じる鋳掛屋のオヤジについて、商売道具を売っぱらった瞬間に「人生が事実上終わった」という表現になってますね。そういうものかもしれません。
 
で、なにがいいたいかというと、カメラや三脚と同じように、今回のようなパンフetcの制作を生業としてる方々にとったら、イラレやフォトショが「商売道具」の重要なひとつになるわけですよね。
商売道具が結構な頻度で「更新」されていくってのは・・・なんともいえない心持になります。
 
まぁなにしろ大事にしなきゃな、と思いました。ではおやすみなさい。

見る人が見れば、な話。

ひょんなことで知り合った某所のスナックだかクラブだかよくわからない店のママさんいわく、その客がヤクザかそうでないかってのは、ほぼ一瞬でわかるんだそうですね。どんな服装でどんなヘアスタイルetcでどんな腕時計をしてようと、大げさでなく入口ドアが開いた瞬間にわかるんだと。
なんでわかるのかと聞くと、やっぱしそういう空気というか雰囲気があるとしか言えない、とのことでした。
 
これはオレがヤクザでないからヤクザを例にとってそんな話をしてくれたってだけで、要はどんなに取り繕っても、見る人が見ればその生き方生業etcが丸わかり、バレバレだってことですね。
 
今年はちゃんとしようと思います。
そして、その「見る人」としての目も肥やしたいと思います。

デジタルとアナログについて。

もう10年以上も前の話ですが、当時としては斬新だった(っていうか斬新過ぎてすぐ潰れてしまったのですが)「地域情報インターネットTV」サイトの運営に関わってたことがありました。
 
相変わらず最近でも煽り文句として用いられる「デジタル新時代の象徴」みたいな惹句でもって華々しく公開、その目玉の一つがWebページ上で誰でもオンデマンドで(当り前ですが)操作できる街頭カメラ、というものでした。
 
どこかのビルの上階に設置したカメラの映像をWebページ上に埋め込みまして、その直下ある上下左右の矢印をクリックすることで、カメラの向きを誰でも変えることが出来る、という、今となってはさほど珍しくも、また難しくもないものですが、当時としては結構なスグレモノで、また結構お高いシステムだったりしたものです。
お値段相応に、公開当初から結構な人気コンテンツでした。「結構」の3連発。
 
しかしながら、この「誰でも変えられる」という所に盲点がありまして、即ちカメラの向きをいじると至近にあるビルのテナントであるキャバクラの更衣室の窓が見える、ということがやがて判明。

この段階でトットと取り外してしまえばコトが済むわけですが、そこそこの投資を経て設置したものだけにそう簡単にはいかない、ということで、システム担当の方は試行錯誤して管理者権限のある者以外操作できないようにしたのですが、2ちゃんねるに「いろいろ捗るWebカメラ」として挙げられるに至り、かくして約1か月間に及ぶデジタルいたちごっこが勃発。

最終的にどうしたかというと、カメラのリモートコントロール雲台をガムテで固定、という荒業に出て、この不毛な「いたちごっこ」に勝利したのでした。
 
オレ自身はカメラ設置の少し前に運営から抜けてたのですが、傍で見つつ、やはり「アナログ」が強いんだな、と思ったものです。
 
そういうものです。
’70年代というともう50年、半世紀ほど前になるわけですが、当時のハリウッド映画の銀塩フィルムの解像度は、デジタルメディアとして換算するとざっくり現在の8Kよりチョイ上くらいな感じだそうです。
考えてみれば「デジタル」は「アナログ」の翻訳版、若しくは基本的原理的に「無限大」であるアナログをカスタマイズ化したものが「デジタル」であるので、そもそも同じ土俵に並列に立たせること自体が無意味なのです。
デジタル化による恩恵を享受しまくってる身としては、謙虚にならねば、ということです。

謹賀新年。

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
本年も相変わらずどうか宜しくお願い致します。


お正月をお祝いする言葉にもいろいろございます。

辞書によりますと、「謹」は、「 気をひきしめておろそかにしない。物事に念を入れる。恐れ敬って、ていねいにする 」という意な由。
常になにごとにもそういう姿勢で、と心から思います。

そして「賀」。こちらは「(先方にあった良いことを)喜び祝う。喜びたたえる。ことほぐ」という意味だそうです。

「“先方にあった”良いこと」が対象である、というところが素晴らしいと思います。

そういうわけで弊社としては、謹んで広くみなさまに「賀」を。
謹賀新年。 謹んで新年のお慶びを申し上げます。

レバノン。

20年ほど前になりますが、1,000人斬りを達成したって自慢してるオッチャンに会ったことがあります。取材後の雑談で結構長時間に渡って、要するに自慢話を聴かされたという。

最高だったのは白系ロシア人なのだそうで、じゃあ最悪なのは?と聞きましたら、そりゃもうレバノン、とにかくレバノンは最悪だった、と即答。

「呼ぶ女呼ぶ女、どいつもこいつも一人残らず「渡辺二郎」なんだよ」

とのことでした。
ご存命ならもう100歳になっておられると思うのですが、どうしてるかな。いかにも昭和的な自慢話です。こちらがドン引きしてるのもお構いなし。
ただ、渡辺二郎みたいな女ってどんなんかな、というところがちょっと気になるというかなんというか。

そんなレバノンにゴーンさんはいるんだな、と、ちょっと思い出した次第です。

iMac。

編集作業途中で先月買ったiMacの電源がいきなり落ちました。これが金曜日夜で、土曜日にサポートに電話。
最新のOSだとadobe製品を使うとよく落ちるんですよくある話ですと言われ、そんなバカな、と思いつつそのままジーニアスバーを予約。
で、今日ザギンのアップルに本体を持って行きまして、このadobe云々の話をしたら

「そんなことは断じてありません、なんかの間違いです!」

と明快に否定されました。
まぁそりゃそうだよな、と思いつつ、じゃああのサポートの発言はなんなんだ、と。

しかしアップルの相談窓口「ジーニアスバー」とは、なんというか、大きく出たなぁ、と思う。「ジーニアス」ってか。

あと毎度思うのですがアップルの店員の独特のリア充感は、あれはなんなんだろう。

って、そうか、「ジーニアス」だからか。なるほど。

終戦記念日。

8月15日になりました。今日は終戦記念日です。

昭和20年の今日という日を迎えるまで、弊社のある東京は下町の皆さんは、低空飛行してくる戦闘機の窓から放たれる機関銃の弾丸に怯える日々が続いていた由。

そんな状況、環境、想像するのも苦痛ですが、これは想像しなければいけません。
そして、その上で自問しなければなりません。またそんな目に遭ったり遭わせたりしたいか?と。これは今を生きる国民の義務だと思う次第です。

弊社はNOなので、反戦です。右も左もハチのアタマもありません。

「令和」に当たって。

そういえば平成元年1月8日も朝から雨だった気がします@東京。昭和天皇の葬送列が雨中を進むようすをブラウン管テレビで観ていたように思います。

「令和」の瞬間も東京は雨模様です。つまりあたりまえですが新天皇のおわします宮城も雨。恵みの雨の中で我々は新元号を受け入れ、新陛下をお迎えすることと相成ったわけですね。それもまたよし、であります。 

平らかに成るという意による「平成」は、その名の通りの「何も無かった時代」とはなりませんでしたが、それでも概ねヘイワな時代だったとは思えます。令和もその名の通り麗しい時代となって欲しいものです。 令和の世も弊社はたいらけくやすらけく在りたいと思います。引き続きどうか宜しくお願い致します。

富田靖子と「さびしんぼう」と今日の新年会。

今日の新年会、隣席の方は大林宣彦の尾道三部作に感化されて尾道にハマり、以来アラフィフになる今日まで年に3回、多い時で5回は当地に赴いているという方でした。
必然的に会話は尾道三部作に関してが中心になり、やれ「さびしんぼう」の百合子がヒロキに、自分はそんなキレイな人間じゃないから追っかけてくんな的なことを最後の最後に言い放つ場面の根底には日本神話におけるイザナギ・イザナミに通じる純日本的思想があるのだとか、「時をかける少女」で原田知世に白いブルマを穿かせるという発想は真正のロリコンでなければ出てこないとか、会場正面のカラオケで歌われている「東京五輪音頭」などをBGMに、そういう話題に花が咲くことと相成ったのでありました。

氏は「さびしんぼう」が大林の最高傑作だとおっしゃる。オレとしてはさほど大林作品に触れてるわけでは無いのでいわく言い難いものの概ね同意です。

で、オレとしてはこの時期の富田靖子の卑しい取り巻き連中にひとことありまして、「さびしんぼう」公開終了後、あれは恐らく1か月経ったか経たないかくらいの時期だと思うのですが、たまさか当時日本橋にあった東急デパートの屋上に行ったら、その富田靖子の「ミニコンサート」が催されてまして、“では今度の靖子チャンの新曲「スウィート」です!”とかいう感じで、フリフリ衣装の富田靖子がアイドル丸出しの歌をアイドル丸出しの衣装で歌ってまして、なんというか、「さびしんぼう」でもってまごうかたなき名演技を披露した彼女が、どうしてこういうアホな仕事をさせられなきゃならんのか、と、大袈裟でなく激怒したものです。
この日は日曜日で、翌日学校でも激怒して周囲にモンク言いまくった記憶があるので、もしかしたら同級生でこれを記憶してる方もおられるかもしれませんが、繰り返しになりますが「さびしんぼう」での彼女の仕事は珠玉のもので、当時有望な若手女優がカドカワ関係しかいないとか言われてる中、将来を嘱望されてしかるべき存在だったと思うのですが、にも拘らずその次の仕事が

シングル「スウィート」(c/w)「嫌いキラキラ愛してる」

って、それはないんじゃないか、と。

結局・・・あんまし詳しくは無いですが、富田靖子は「女優」としては「南京の基督」くらいしか着目すべき作品は無いんじゃないかと思う。
これはひとえに、当時の卑しい取り巻き連中どもに見る目が無かったが故の悲劇で、彼らの責任は重い、とオレは強く思う次第です。

今日の会話と、先だっての引越しの際に、このミニコンサート時に行われたジャンケン大会でインチキしてゲットした「YASUKO SWEET ハンドタオル」が出てきたので、思い出した次第です。

いろいろ。

長いこと「失われた名作」とされていた「忠次旅日記」のネガの一部が松竹の倉庫だかどっかの田舎の蔵だかで発見され、無事に修復も終えられていざ上映!と相成ったとき、その公開場であったフィルムセンターのパイプ椅子席には萬屋錦之介の姿があったそうですよ。

また、山下達郎大先生はほぼ習慣的に若手アーチストのライブに足を運ぶそうで。
狭くて小汚い小屋の一隅にちょっと場違いな、しかしどこかシャレオツな壮年夫婦がいる、という感じだそうです。

売れっ子スターであってもやはり観るべきものは観なければならず、して学ぶべきことは真摯に学ばねばならぬのであります。

そういうこととはほぼ関係無く、「忠次旅日記」に出演している伏見直江は江東区門前仲町の出身です。ちなみに小津安二郎はお隣の深川一丁目で生を受けておる由。

さらにまるっきり関係ないですが大杉栄と伊藤野枝は亀戸三丁目に居住していた時期があり、これは有名ですが浅沼稲次郎は区内の同潤会アパートに住んでおられた。.
ついでながら麻原彰晃はオウム神仙の会を興す前にやはり区内大島に住んでたそうで。

いずれも、生家跡に記念碑があるでもなく、江東区とのつながりに関する文献が豊富にあるわけでも無く、小津だけは清住通り沿いに申し訳程度な「ここらで小津が生まれたっぽいよ」ってだけな記載の看板がありますが、それっきりです。あとはなんもない。皆無。

麻原はともかく、そういうことでいいいんか。