仕事(本業)関係

「守秘義務」その他。

「守秘義務」ってあるじゃないですか。これの基準ラインのバラバラさにはもうビックリです。弊社のような業種の場合、まずなにか動画やサイトやらを作りたい・作らなきゃならないっていうお客様がおられて、その制作を代行してるって立場なわけですよ。要するに、ああ、自分で作れない?ほいじゃナンボか貰えるなら代わりに作ってあげますよ、って業態なわけです我々は。極めてザックリ言っちゃうと、ですが。

だから、そのお客様や代理店様の許可もなく“これが弊社制作物ですよ”って不特定多数に提示してしまうのは、オレは「違う」と思うのです。

「守秘義務」という概念の根っこにあるのは、この「違う」なんだと思う次第です。そこは「守秘」すべきポイントの大きなところじゃないですか。

しかしながら、平気で自社サイトなどで提示してる会社様が多い。これはもう「やたら」多いです。

皆さんクライアントや代理店様に許可もらってんのかね。とりあえずあまり上品じゃないですよねそういうのは。いや許可貰ってやってんならなんの問題も無いわけですけども。

ところで政治家の方の世界ですと、例えばA議員が長年携わって進めてきた案件があったとして、それがいよいよ実現!ってタイミングになった際、いきなりそれまで敵対していたB議員やC議員が“我々の努力が実りまして”とかなんとか言い出すケースがままある由です。こないだ来たる区議・区長選を見据えての区政報告会という名の総決起大会に行った時、思いっきりそれを「体験」したところです。

臆面もなくそういうことを言い放っちゃう候補者も候補者ですが、都度“そうだ!”とか“よくやった!”とか合いの手を入れる支持者?支援者の方々、あれは知ってて言ってんのか、もしくは知らないんだろうか、と。

でもそんなことを知らないような人が政治家の「支援者」になったりするもんかなぁ、と考えると、やっぱ知ってて言ってんだよな。

鉄面皮もしくは「鈍感力」ってことでは、我々のなにも違うところはありませんですね。

深川八幡祭り。

今年は「深川八幡祭り」が行われるとのこと。本祭りということで神輿56基勢揃いの連合渡御が執り行われます。

なんかずいぶん久々な気がしますが、実際久々の開催なんですよね思うに。

特に都市部における地域自治(組織)の有名無実化が盛んに言われる昨今、歴然たる「都市部」である江東区深川地区において、町内会ごとに神輿、それも結構なデカさの、さらになにしろ「水掛け神輿」ですから水を掛けても大丈夫なものを所持・管理されているというのは、これは結構稀なことなんじゃないかと思います。

コロナ禍だとかそういう事どもに頓着することなく盛大に行われるようで、なによりです。

約10年間ほど、このお祭りに文字通り「付きっきり」だった時期があります。あの頃はなにかって言えば神輿関係の取材ばかりしていた気がします。

本祭りは3年に一度ですが、その間の2年間は何にもないのかというと決してそんなことはなく、子ども神輿の連合渡御あり、お宮の神輿(二ノ宮)の渡御有り、やれ○○町で神輿を新調した・修繕した、△△町で神輿練習会がある、○日には幹部総代の会議がある、と、なにしろ一年中、っていうか年がら年中「お祭り」と関わりっぱなしの10年間でありました。

100万人からの人出が予想されるこのお祭りですが、刮目すべきポイントは、これが「単なる大イベント」というところに帰結してしまっていないところです。

いつだったかこの連合渡御の「10時間生放送」なる番組を作ったことがあります。その際に総代さんに耳にタコができるほど言われたのが、「単なるイベントとして採りあげるな」ということでした。

即ち、お祭りというものはあくまでも神事(の一環)であって、神輿はその名の通り神様の乗り物である。そのつもりで制作・放送しろ、と。

このことは思いの外ないがしろにされがちな事柄で、余所のお祭りなどには、この総代さんらの危惧してたような「単なるイベント」としてしか見られてないようなものも多い由です。

深川のお祭りはそういう視点で切り取るな、と、クドいようですが口を酸っぱくして言われました。いやホントに言われまくった。

実際「深川八幡祭り」には、神事としての崇高さがあります。これは参加したらわかります。

実際サケ飲んで神輿担いでる人もいなけりゃ、カラフルな肌の方々が神輿の上に乗ったり、ケンカしたり、なんていうことも「絶対に」ありません。

神輿の上に乗ってはっちゃけたり、ケンカなど大暴れしたいから祭りに参加する、というようなヤカラが多い中、このあたりが徹底できているというのはスゴいことだと思う。

深川八幡祭りは、そりゃもうトンでもなく賑やかな、盛大なお祭りです。

恐らくは猛暑の中での挙行となると思われますが、「水掛け祭り」という名のとおりこの神輿渡御はその道中で神輿に水を掛けまくります。なぜ掛けるのかには諸説ある由ですが、とにかくザブザブ、ドカドカ掛けます。

なので、8月半ばの開催ですからまぁ暑いことは暑いのですが、とりあえず合法的に往来で水浴びできるわけなので、暑気も自ずから払われます。

4トントラックに水を満載してバケツで掛けまくるは、消防団が放水車で散水するは、そりゃもう大騒ぎです。

おかげでオレは今でもカメラの防水化には大いなる自信を持っております。

本祭りの年は、前年の年末くらいから幹部総代の皆さんがピリピリしてて、オッカなくて弱ったものです。

以前初詣で取材の際に、神輿総代の方の娘さん息子さんにお会いしまして、その際に言われたことがあります。

“今年はあんましウチに寄りつかない方がいいよ”

と。

別にオレがなんかやらかして嫌われたとかいう話ではなく、要するに本祭りを控えてみんなピリピリしてるから、ヘタに会うと怒られるよ、ということです。

昨今はさすがにそこまでじゃない、と、こないだ和服を受け取りにいったときに呉服屋のオバちゃんがおっしゃってましたが、なにしろさぞかし皆さんお忙しいことでしょう。

無事な成功をお祈りしております。

旧友再会と「ビビンバ・カルビ弁当」について。

30年ぶりに旧友と会うことになりました。まさに「旧友再会フォーエバーヤング」です。30年前の自分がどんなだったかもはや覚えてませんが、とりあえず今より30歳ほど若かったんでしょうきっと。

さてどこで落ち合いましょうか、ってことで、先方様から実に10店舗ほどの候補が速攻で挙がってきました。

オレとしては「30年ぶりの再会である」って事こそが厳然たる主題であって、その場所がどこであろうと・なんのお店であろうとどうでもいい、サイゼとかスシローでも全然OKなのですが、どうやらそういうわけにもいかない由。

いいじゃんかどこでも、と思うのですけどね。

で、オレの方もいくつか候補を考えてみたのですが、そこで、オレはこういうときに使える店をほとんど知らないってことに気づきました。安心して(?)案内できる店が4、5店くらいしかないの。

考えてみれば外食する際、オレはずっとずっと同じ店に行って同じメニューばかり食ってるのです。押上の焼肉屋か、千駄ヶ谷のニンニク豚骨ラーメンか、あといくつかくらい。

そういえば新人時代、昼メシに関して当時の上司にメタクソに怒られたことがありました。

オレが来る日も来る日も「ビビンバ・カルビ弁当」ばかり食べてるのが気に入らない、というわけです。

“オマエみたいに毎日毎日同じものばっかり食って平気なやつはクリエイターには向かないから辞めちまえ!”

と、結構ガチなトーンで怒られたです。事務所内に怒声が響いたですよ。なにがそんなに気に入らなかったのか不明ですが、まぁなんか気に障ったんでしょうね。

すいません明日からは別の昼メシを考えます、って、考えたら妙な謝り方をしたのを覚えてますが、そうはいっても「ビビンバ・カルビ弁当」以外に食いたいものは無し、仕方ないので翌日は「ビビンバ・カルビ丼・お持ち帰り」にしたのですが、いやもう死ぬほど怒られました。ナメてんのか!!って。

今考えたらひとが何を食おうと大きなお世話だよなぁ、と。

しかし、クリエイターとしてどうなのかはともかく、やっぱし色んな店を知ってる方がいいですね。いいトシした大人として、この度のような旧友再会といった折に案内できる店を知らないってのは、これはもうまるっきり「恥」です。

でもいまさらどうにもなりません。

ちなみに実名でいうとこの「ビビンバ・カルビ弁当」を毎日オレに提供してくれてた店は墨田区八広にあるニューミートマテリオって肉屋さんで、弊社のメインバンクがこの並びにあるのでちょうと今日店前を通ったのですが、まだありました。現存。

ビビンバ・カルビ弁当があるかどうかは不明です。

食に関して。

新卒で入った会社で、ある時オンライン編集(!)のアシスタント(?)に当ったことがあります。

3日間に渡って行われたのですが、昼メシの弁当発注という重要業務がオレの担当でした。

で、初日に頼んだKAKIEMONの「和風ハンバーグ御膳」がメチャクチャ美味かったので、翌日も翌々日も同じのを頼んだら、ディレクターの先輩にそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒られまくったのでした。

「なんで同じもの食わすんだ!!!」と。

なんでって、美味かったからに決まってんじゃんか、と内心思ってたのですが、3日間同じ昼メシを食わされるのは一般的には不快なことなんだな、ということをオレはそこで学んだ次第です。

それから約10年後、某CATV局の番組で、江戸三大祭本祭生中継のチーフになった際、後輩の若者に昼メシの弁当発注という重要業務を担当させたことがあります。

やはり3日間に渡るロングランだったのですが、初日の「ビビンバ・カルビ弁当」が猛烈に美味かったのでその旨を伝えたにもかかわらず、2日目が違う弁当だったので、オレはそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒りまくったのでした。

「なんで違うもの食わすんだ!!!」と。

……と、ここまでは以前にも書いたと思います。っていうかこれはオレのいわば持ちネタとしてあちこちで喋ってるのですが、こないだフト思い立って調べたら、KAKIEMONってもう無いのですね。90年代中頃までは「高級宅配弁当のリーディングカンパニー」だったらしいですが、なんかもうとっくに無いんだとか。

もうちょっと粘ってりゃコロナ禍の折ニーズもあったろうになぁと思いますが、なにしろあの和風ハンバーグ御膳を味わう機会は永遠に失われたわけです。

で、こりゃタイヘンってことで、改めてかつて某肉店で毎度毎度買ってたビビンバ・カルビ弁当を調べたら、店はあったけどもうメニューに無かった。「月日は百代の過客にして」ですね。もうあの死ぬほど脂っこい弁当を口にすることは叶わなくなった、と。

月日は百代の過客にして、と書きましたが、行き交ふ年もまた旅人なり、つまり、往々にしてまた別のナニゴトかと行き交ったりもするものです。

もはやオレがなにも言わなくてもほぼ自動的に替え玉してくれ、また辛子高菜漬をどれだけ入れても文句を言われない、あの某店のニンニクトンコツラーメンさえあれば、今はなにもいうことはありません。おとなしくしてればナニゴトかと行き交えるものですね。ちなみにこれは代々木ってか千駄ヶ谷にあるお店ですが、かれこれ20年、ここではニンニクトンコツラーメン以外食ったことがありません。

ところでここ数日、夕刻から夜半になるとなんだか頭に疼痛、ややめまいなどがあります。なにを隠そういまもそうです。

風邪かなぁなどど思ってましたが、もしかしたらこれは、先だってに購入しバリバリ使用している火鉢による軽い一酸化炭素中毒なのではなかろうか。

換気は大切です。

ポケベル。

この程弊社もポケベルを導入しました。弊社のアセットでもあるコンテンツマーケティングをフリーダム且つアジャイルにバジェットシュリンクしインタラクティブなオポチュニティマネージメントとしてエスタブリッシュさせるためのインディスペンサブルなツールということでコンクルージョンしたリザルトです。

カレンダーも時計も生きてます。

ストラップもついでにもらっちゃいました。アンエクスペクテッドなフォーチュネートリーイベントにグッドインプレッションです。

なにがいいってスイッチ入れると速攻で立ち上がるのが素晴らしい。Win98を使い倒してた時期は完全起動するのに下手したら10分くらいかかってたりしました。ノートン先生にいろいろお願いしてやっと5分くらいになって安堵したものです。

劇場なんかで“上演時はスマホや携帯の電源を切れ”って言われても切らないヤツが多いのは、一旦シャットダウンしたら改めて立ち上げるのに時間がかかる=その間の数秒〜数分間はLINEやらSNSのリアクションやらが確認できない、ってのもあると思うのです結構マジで。

そこそこいいトシした方でも、飲み会の席でもずっとスマホいじってるような方がおられます。“一体全体なにをそんなにしょっちゅう確認してるの?”と聞いたことがあるのですが、もしSNSの方にレスがついてたりorLINEが届いてたりしたとき、すぐ返信しないと失礼になるから、と言われました。飲み会でひとりスマホをいじり続けてるのも大概だよなぁ、と思いましたが、そこまでは言わなかった。

思い出しましたが15年くらい前には、すでに「5分ルール」とかいって、メールの返信は5分以内に行わないのは失礼すぎてシャレにならん、と言われたっていうか怒られたことがありました。確かに放っておいたのは悪かった。編集中で、また連絡内容も「元気?」とかクソどうでもいいものだったので、区切りついたら返信しようと思ってたのです。でもその前に電話をもらいまして、なんで返信しないの!!!???と。

要するに、体感としては15年くらい前には確実に「インタラクティブなコミュニケーションの確認の即時性」を追求する流れが具体的に存在していて、それが坂道を転げるようにどんどんエスカレートしつつ現在に至っている、というわけです。15年前にはすでにオレがわざわざ電話で怒られるレベルにまでそれは進んでおりました。

これ、どの辺が歯止めになるんだろうか。近々にアイウェア型通信端末ができる由ですので、この辺りが落とし所になるんかな、という感じがあります。すなわちそれは「インタラクティブなコミュニケーションの確認の即時性」の「即時」が「同時」「リアルタイム」になるということです。常に視野のどこかで諸々を確認し続けられる、という。

なんか空恐ろしい感じですが、きっとそういうふうになるんだろうな。

ところでポケベル買ったものの、ポケベルサービスはとっくに終了してるんですね。

とりあえずカレンダー&時計&キーホルダーとしてプラクティカルユースしていきます。

TV業界。

ホントにTV業界は不景気らしいですねぇ。TV業界関係者にお会いするともう景気悪い話しか出て来ませんよ。数多ある産業の中で最も不景気な業界が発信してるわけですから、発信内容も不景気なものになるのは必定ですよね。

これは一般の方には分かりにくいかもですが、ひな壇芸人さんによる番組なんかでは、もう複数カメラを設置するのも憚れる感じなので、8Kのカメラをひな壇正面に1台置いて全体を撮っとくだけで済ませちゃうんですってね。ひな壇全員を8Kでずっと撮っておいて、編集時に都度喋ってる人だけトリミングして、ということらしいです。確かに放送はフルHDですから、元が8Kであればそこそこトリミング(=拡大)しても解像度は落ちないわけです。

ホントにそんなことやってんのかどうかさすがに眉唾ではありますが、ポスプロの方がおっしゃってたので丸々ウソでもないんだろうと思います。

昔々あらゆるコンテンツは「門付け」だったんですよね。発信者がお宅を一軒一軒回って、その都度おアシをいただく、という。

それじゃ効率が悪い、ってかまとまった儲けにならんので、広場に人を集めて、まとめて大勢に発信して、まとまったおアシをゲットする形になりまして、それが「公会堂」や「劇場」のはじまりですね。

でもって、さらに一度に大勢に発信ってことで、放送というシステムやらパッケージ販売という概念やらが誕生したわけです。一箇所に集まるだけでなく、各地の方にも同じネタを、という。

そういう変遷に伴って、配信するネタも個々向けから「大勢」、大衆ウケするものへ変質していったわけです。多くの場合のそれは国家体制の堅持に大いに貢献し、我が国は先進国の仲間入りできた、という側面もありましょう。

youtubeやなんかでの個的な発信、また音楽の配信ってのは、こりゃ要するに「門付け」の現代版みたいなもんじゃないですか。発信者の単位がミニマムになっていくっていう、これはいわば先祖返りですね。

あんまし良いことじゃないよな。有象無象が勝手に発信してるばかりのカオスな世の中に戻ってどうする、と。

しかしなんでTV業界が不景気かって、ライフスタイルの変化だとかなんとか言われてまして、そりゃまぁそういう部分もあるとは思いますが、本質的には面白く無いから観ないってだけなんですよね。

現にもうTVドラマは社会構造的にダメだとか言われてるさなかに、家政婦がどうしたとか半沢ナントカってドラマは超高視聴率を記録してたじゃないですか。面白けりゃ観るんだよなみんな結局。

そんなオレはここ20年くらいTV番組をほとんど観てなかったのですが、最近「クイズ脳ベルSHOW」だけ時々観てたんですよ。

でもどういうわけか毎日やってたのに週イチ放送になっちゃいました。残念です。

演歌歌手の方の件。

カラオケ大会って言えば、これはほぼ100%演歌なわけですが、演歌歌手でひとつ思い出しました。

ある時、ご当地演歌歌手がデビューするってことで取材したことがありました。24歳男性。年男デビューっていう、だからどうした的なキャッチコピーが付いてました。

ご当人&マネジャー的なスナックのマスターにいろいろお話を伺いました。

まずは現在に至るまでのプロフィール。

・小さい頃から音楽が好きだった

・中学生くらいで、自分でも音楽をやろう、と思い立った

・で、高校生の時にナントカ先生に内弟子入り

・でもって24歳で弟子奉公が明けて、晴れてデビューが許された

音楽こそが我が自己表現の術である、とご当人、厚く語っておられました。

そこでオレは、極めて素朴な疑問をぶつけたわけです。

小さい頃から音楽が好きで、中学高校生になって自分でもやってみようと思い立った際に、選択としてはバンド組んだりギターやったり、となる方が多いと思うのだが、なんでまたアナタは「演歌」だったのでしょう。

演歌の世界を自ら選択した、もしくはご自身にとって演歌でなければならなかった理由というのは、なにかあるのでしょうか、と。

これはホントに単純かつ素朴な疑問で放題で、この世代で、たまただどっかののど自慢でスカウトされたとか、近親者に演歌業界人がいたとかでなく、中高生が自分の意思で演歌界に進むってのはちょっと珍しいかもな、と思ったわけです。

どういうわけでこの目の前の青年は、この珍しい道に自ら飛び込んだのかな、と。

そしたらこの青年、ちょっとの間考えて、やがてスナックの天井をやや見上げて言いました。

“たぶんそういう方と私とでは、最初に教わった先生が違った、ってことなんじゃないでしょうか”

と。

これを聞いた瞬間、ああ、住む世界の違いってあるんだな、と思いました。

あんましロックとかフォークで、センセイのとこに内弟子に入って、数年後に、ああそろそろオマエも年季明けだねぇ、とかいってバンド組むのを許されて、なんてのは無いと思うんですよね。

いや誰かを「師匠と仰いで」「目標にして」ってのはあるんだろうと思いますが、まるっきり徒弟制度で、師匠のお墨付きがあって初めて世に出られる、ってんじゃ無いですよね思うに。

でもこの目の前の青年は、そうは思ってないわけです。どんなジャンルでもそういう道筋だと思ってる。そう信じていささかの疑いも無い。だから考えた挙句に出た答えが上記なわけで。

“ボクも最初に出会ったのがロックやフォークの先生で、最初に通ったのがロックの教室だったら、今ごろロックやフォークをやってるかもしれません”

とも言ってました。

彼にそう思わせしめたのはどういう理由によってのことか、とちょっと興味がわいたんで、根掘り葉掘り聞いてみたかったのですが、取り巻きのオッサンらに止められて取材は打ち切りとなりました。

あんまし余計なことを聞いてくれるな、という空気だったのを覚えてます。

ある意味で純粋培養なこの24歳の青年はいかにして作られたのか、ホントに興味があった。

テレビやなんかを観て、同世代の「アーチスト」がロックやらなんやらやってるのを観てどう思うか、とか、中高生時代の友人やご両親はどう思っておられたのか、とか、いろいろ聞きたかったのですが。

デバカメ的な興味ばかりでなく、さほど世代の違わないオレ自身との対照、という関心もありました。この青年のなにがオレと違ってて、なにが一緒なのか。

この青年もそろそろアラフィフだと思うのですが、どうしてるのかな、と。

昔々、歌手にスカウトされた件。

昨日は区議会議員選挙への立候補を勧められた話を書きましたが、そういや同じ頃、歌手スカウトされたこともありました。

立候補要請の件と比べ、こちらはもうあからさまなサギ臭に満ちた、ウサン臭いことこの上無いお話でした。

某カラオケスナック店が主催するカラオケ大会がありまして、その収録のお仕事をいただいたのです。

で、こういうことはどうやらよくあるらしいのですが、審査時間中のステージ間つなぎにお前さんも1曲やってくんないか、と。

そう言われたら断る術はありません。しょうがないからやったわけです。

そしたら大会終了後の打ち上げの席、審査員をやってた作曲家先生がいつのまにかオレの隣に来まして、

・アンタ(オレです)の歌を聴いたが、アンタの歌にはひとの心を惹きつけるなにかがある

・だからアンタは歌い手になるべきだ。差し当たって私の教室に来るべきだ

・アンタの努力で紅白も夢じゃ無い、いやアンタなら可能だ

・私のコネでCDデビューさせてあげる

・そういう諸々を踏まえ、とりあえず私に200万預けなさい

と、熱く語るのです。

こんな昭和的なわかりやすいインチキ話も無いなぁ、と思ったのですが、オッサンがこんだけ熱く語るってことは、そこそこの成果もあるんだろうな、と。明らかに迷惑メールだとしか思えないようなアホくさい宣伝メールでも1,000通出せは1件は引っかかり、またその1件で充分な費用対効果が得られるそうです。

でもまぁ断りましたよ。普通断るよなぁ。

で、後日、主催したカラオケ店に行った際、主催者でもあるマスターにこの話をしたら、

「200万って言われなかった?あの人はなんか知らんけどいつも“200万”なんだよ(笑)。」

と。

要するにあの審査員のオッサンは、あちこちのカラオケ大会やらに審査員かなんかで潜り込んで、ほうぼうで200万200万言って歩いてる、ってわけですね。

なんで200万なのか知らんけど、決まって「200万」なのでちょっと有名なんだそうでした。

「アンタだけじゃないよ、ほら」

と見せられたのは、その店の常連さんがポーズを決めてるジャケットのCDでした。一人二人じゃなかった。

CDはCD-Rでした。ジャケットはオフセット印刷でしたけども、即ち量産プレスされたものでは無い、という意味です。なにしろ200万払った人がこの店の常連だけで何人もいる、という。

自分の店の常連客が、ありていに言ってサギにひっかかってるのを、このマスターのオッサンはただ黙って見てるんだなぁ、と思いました。

こうなるとサギの片棒担いでるのと変わらんじゃんかよ、と思いましたが、まかり間違って紅白に出たりできちゃう可能性が理論的にはゼロでは無いわけで、100%サギとは言い切れないんですね。

この世界は一時が万事こんな感じなんだな、と。

「アンタも200万出してやってみたら?(笑)」

なんて言われましたけどね、こんな業界からは1分1秒でも早くエクソダスしなければ、ということで、あれから関わってません。

やっぱり、余計なことはしないが吉、です。

区議会議員への立候補を誘われた件。

そういえば今年は江東区長選挙・江東区議会議員選挙があるんですよね。4月だったか。

昔々に区長・区議選開票速報番組をやったことがありますが、あの頃だいたいトップ当選の方の得票数は3000くらいだったと記憶しています。それがこないだの区議選だとドンケツ当選者の得票数がそれくらい。それだけ我が江東区は人口が増えてるってことですね。いいのか悪いのか知らんけども。

その3000票でトップ当選出来てたような時期、オレも区議選に出ないかと誘われたことがあります。いや誘われたというか、今思えば結構ガチな「立候補要請」でした。供託金はこっちで持つ、各種運動はこちらで段取る、なんの具体的負担はかけない・身体ひとつでOK、という条件で、なんか書類を書いてハンコも押して、とかなんとか言われた。

あの頃のオレは江東区地域情報番組を作ってまして、だいたい月30日のうち15〜20日は自分で顔出し出演しておりました。地域情報番組をやるのに、そのネタどころか当該地域のこともなんも知らない・縁もゆかりもない、ただ滑舌が良くて愛想が良いってだけのキャスターがしたり顔で「地域情報」を語るっていう図式に抵抗がありまして、じゃあ取材した当人が自ら出演して取材した事柄について喋った方が一次的でイイじゃないですか、という、要するにそういう趣旨に拠ります。数年後に東京MXTVが「東京ニュース」と銘打ってVJ:ビデオジャーナリストという概念を打ち出してきましたが、思えばアレの先駆けです。

でもって当時取材してるのがほとんどオレだったので、必然的にオレばっかし出演することとあいなった、と。

(ちなみにこの時期、勝手にベラベラ喋るオレをキャスターとして受け止めてくれたTくんとはまだ良いお付き合いをさせてもらっております)

なにしろ90分番組を1日4回リピート放送してましたので、ざっくり月に120時間くらいメディアに顔を晒してたわけです。ローカルとはいえ。

そういう体制を1年くらい続けてると、なんやかんやで顔を覚えられるようで、まず砂町のジャスコで子ども連れのお母さんに、また錦糸町、靖国通り沿いのサンクスの店員のアンちゃんに深夜に声をかけられたりしましたよあの頃。サインもらえますか?とか言って。

まぁなにしろ立候補を誘われたのですが、要するにヤツはとりあえず顔が売れてるし、当時平均年齢が23区の中でも高めと言われてた江東区議会議員の中にあって、若いヤツはその若さだけでもアドバンテージだ、ということだったみたいです。当時30歳代前半でしたんでねオレ。若い力で!とか、キャッチコピーもわかりやすい感じで設定できる、と。

あたりまえですが丁重にお断りしました。

まぁ最初からその気は無かったっちゃそうなのですが、お断りした具体的理由のひとつは、身体ひとつでOKとか言いつつ、スーツ着なきゃダメだって言うんですね。厳密にいえばそりゃ話が違うじゃんか、というわけです。

いやスーツがイヤだからというより、やっぱしスーツ着なきゃダメですか?と言った時、そりゃダメですよっていうかスーツくらい着ましょうよ(苦笑)と答えられた、その口調が気に入らなかった、というのが正確です。なんかモノの言い方がちょっとだけシャクに触った、という。

こういうのはデカいですよ。心根の底の底がこういうとこに出るもんです。

あんとき立候補してたらどうなってたかな、確か当選者の中で最低得票数は2000票をちょっと切るくらいだったと記憶してますが、間違って2000票獲得しちゃってたら区議さんですよ。また、立候補経験者ってだけでそこそこのハクにもなるとかも、あのとき言われたです。

どうなってたかなぁオレ、と時々思うのですが、冷静に考えれば皆さん一生懸命運動などに注力されてるってのにテキトーな感じで首を突っ込んだだけでそんな簡単に通るはずもなく、またどっちにしたって長続きはしてないと思うので、ってことはその分今のキャリアが削られてたわけで、やっぱし出なくて良かったなぁ、と思います。

人間よけいなことはしないが吉、なのです。

娯楽コンテンツについて。

娯楽コンテンツは常に「ないものねだり」の産物だ、という、斯様な仮説をたてると、物事いろいろ合点がいき、且つ色々はかが行くのであります。

「ニッポン無責任時代」がやたら流行った時期、当時のサラリーマンは高度成長の担い手としての責任感、重圧に大層苦しんでいたんだろうと想像します。あの経済成長を、ほぼ特定の世代だけが背負ったわけですからね。それはそれは大変な重圧だったことでしょう。これは余談ですが、それを為した世代が後期高齢者になってる昨今、この世代を大事にしなきゃバチがあたりますよ。

「旗本退屈男」がシリーズ30本も続いたのには、庶民において横暴な権力者に相対する「早乙女主水之介」的存在への渇望があったのでしょう。「退屈男」が最も流行ったのは戦前から昭和30年くらいまでな由。

また病身の渥美清をいつまでも「男はつらいよ」に携わらせたのは、長年に渡って続いた、マスプロ化した社会生活における閉塞感が裏にあったでしょう。保守的な松竹は最後は満男くんを「フーテン」化させてまで当作の継続にこだわりました。

こういうことは洋の東西を問わず、泥沼化するベトナム戦争のとその戦後処理、石油ショックによる不況、ウォーターゲート事件に代表される政治不信、学生運動の衰退に伴う失望感など、まさに月に叢雲といった状況にあったアメリカにおいて、その雲を散らしたいという市井の一念がダーティハリーやデス・ウィッシュetcを産んだのでしょう。

またこういうことは、こと映画だけに限りませんね。浜崎あゆみの楽曲の、あの説教臭い歌詞がやたらウケたのは、ああいう「説教」に飢えてたグループが庶民の中に多くいたということに「他なりません。バブル期の様にチヤホヤされることに飽いて且つ同時にそこに不安を覚えた後続世代の女性らが挙って支持しましたね。チヤホヤされるより、説教臭い「同調」を求めた、と。

オレ個人は我が国のポピュラーソング史において「セーラー服を脱がさないで」に始まる一連のあの一派によるあの手の曲どもは最低最悪の代物だと思うのですが、これらのヒットは、どうあれこうあれあの一派が思春期のガキどもが最も「欲しがるもの」を(大量に、数の暴力でもって)市場にブチ込んだ結果であることは疑いようもありません。

枚挙にいとまがありませんが、まぁなにしろ、映画演劇音楽と、なにによらずヒットコンテンツというものは押し並べて「ないものねだり」、その時期その時期に欠けているものが常に望まれるわけですね。

で、オレ思うに、ここ数年各種コンテンツにおいて「リアリズム」、これが結構末端、特に若者層においてやたら尊ばれてる気がするのです。

これってもしかしたら、今、そういう世代の層においてなにが欠けてるかって、他ならぬ「リアル」が欠けてるんじゃないか、と。

そういえば東日本大震災もこのたびのコロナ禍も、それらに対するSNSの書き込みが、みんなどこか他人事な感じがします。

自分自身にとっての「リアル」事として認識してない感じがします。

ドラクエやFF、また各種ソシャゲで特徴的なのは、最終的に必ず「勝つ」んですよね。

80年代頃のゲームは、インベーダーでもギャラクシァンでも最後必ず負けてゲームオーバーになったです。全機やられて負けるまでのゲームだった。ところが昨今のゲームは大抵自分が勝って終わるんですよ。

なにによらず「バーチャル」が流行る昨今ですが、コンテンツとしてはこれからは「リアリズム」が流行るんじゃないですか。

それが良いことなのかどうかオレにはわかりませんが、とにかくオレは今から「旗本退屈男 謎の決闘状」を観て寝ます。おやすみなさい。