こんなことばっかし言ってますが・・・

ある国がある国を植民地にしようとする時、しばしば「愚民化」という方策が採られるそうです。
要するに、ターゲット国の国民をアホ化してしまえば、進出・侵略もラクである、という発想ですね。
アヘン戦争と呼ばれる一連などはその究極的なものですね考えてみれば。
その際、その国の国民はヒサンですね。
知らず知らず、おそらくは長い長い時間をかけて少しづつアホになっていき、気がついたら我が祖国は植民地、自身は奴隷になってた、ってなわけですからね。
先日かなり久方ぶりに、某幼稚園の「こどもかい」を収録しに行きまして、その帰路、このことを痛切に思いました。

サヨク的だったり、ウヨク的だったりしつつ。

高校や大学出たての女性、首尾よく就職できたとしても、せいぜい手取りは20万?そんないかないのかな?なにしろそんなもんでしょう。
しかも、昨今は激烈なる就職難だそうで、男女雇用機会均等法が施行されて久しいにも関わらず、なぜかことに女子の就職率…就職内定ゲット率がトンでもなく低いみたいです。
そんなこんなで、いまどきの若い娘は慢性的金欠なはず。金なんて無いに決まってます。

またまた格闘技について

川嶋勝重、見事防衛に成功しました。以下日刊スポーツの引用。
<WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ>◇3日◇東京・有明コロシアム
 王者の川嶋勝重(30=大橋)が挑戦者のホセ・ナバーロ(23=米国)を2-1の判定で退け、2度目の防衛に成功した。川嶋の戦績は31戦28勝(18KO)3敗。

・・・ナバーロは戦績も良く、川嶋は王者ながら不利の予想も立ってましたが、見事にそれを覆しての勝利でした。
試合序盤で目を切ったこともあり、見た目以上の苦しい試合だったろうと思うのですが、小差での判定勝利はまずは妥当な裁定だったかと思います。
今月出るボクシングマガジン、久々に買ってみようかな、とか思ってます。
で、ちょっと当該誌について調べたりしましたら、なんと!編集長が知り合いでびっくり。

格闘技について云々・・・その2・まっすぐ下がらなかった人たち

この正月は・・・ってまだ一日終わっただけですが、当サイト管理人は自宅兼事務所にて極めて普通に仕事しております。
しかしまぁいわゆる平日よりはその内容も希薄でありますので、こうして当Bblogを更新したりすることが出来てる。このことは果たして良い事なのか悪い事なのか。
それはともかく、昨日に続いて「格闘技」に関して、です。

格闘技について云々。

当サイト管理人はTVをほとんど観ないのですが、この大晦日は実に数ヶ月ぶりにTVの前に陣取り、K-1とPRIDEの各試合を観てました。
ちなみになんでTVをほとんど観ないのかというと、簡単なハナシ面白くないからで、あまりにも過剰な、それでいて的外れで、しかも工夫の跡のみられない演出に辟易、という感じなわけです。
が、それでもいわゆる格闘技系の中継番組は比較的観てまして、それは「番組」という作品の内容において、上記したような人為的な演出に拠る部分が比較的少ないから、という理由です。
要するに、TV番組制作者の手による作品は観れたもんじゃないけれども、リングetcに上がる選手達のパフォーマンスは信頼できる、という判断であります。
ですが、この大晦日に各局でやってました格闘技戦は、かなりキツかった。
観なきゃよかったかなぁ、という感じで、この元日を迎えております。

ホントに日本はヤバいんじゃないか?という危惧。

むかーしに放送されてたドラマ「あばれはっちゃく」のシリーズが、この程DVD-BOXの体裁で発売されるそうです。
そういや人気ドラマだったのに、最近再放送とかされないなー、などとつらつら考えつつ、その関連リンクなどを辿り眺めておりましたら、その理由について触れているサイトを発見しました。
そこによると、再放送されない理由として、その大きなひとつが「内容的にふさわしくないから」という説が挙げられてました。

愛すべきムチャクチャな人たち。

当サイト管理人は、現在は法人化しいてやっておりますが、その昔はいわゆるフリーランスとして活動しておりました。
今思えば実に色んな映像製作会社に出入りしたものです。
「映像制作会社」の雰囲気にはある種の類型があるにはあるのですが、それでも規模の大小、得意分野などによって、実に様々。
以下は、ワタシがお世話になった数多の制作会社の中でも、ひときわ「特異」であった会社の話です。
撮影、編集、と、そこから頂いていた仕事内容は多岐に渡りましたが、常勤してるわけでもなく、ときどきこの社に出向いて、自分の仕事+気が向いたら社員の皆さんの仕事を手伝ったり、などなど、妙にこの業界に浸かったり、逆に妙に慇懃に距離を取ったり、といった部分には一切気を使わず、まぁマッタリとやっておりました。もはやいい思い出であります。
いわば単なる外注スタッフであるので、有る意味全てにおいて客観的な立場でいられたわけですが、こういうスタンスは非常に気楽なものでした。
この会社は、想像を絶するレベルでムチャクチャな人たちばかりなのですが、そういう皆さんを表題のように「愛すべき・・・」という冠付きで表現というか紹介できるのは、この気楽さがあるがゆえ、です。

死刑になるべき人たち、病んでる国、その他。

表題について、まず、
http://www.my-roots.jp/bideo/
こちらをご覧頂きたい。
「bideo」というアホなアドレスについて言ってるんじゃありません。リンク先の内容です。
こういう作品を作ってるやつらが死刑にならないで、誰が死刑になるというんでしょうか。

東京青年会議所というところに入ってるのでした。

ワタシは今年から、「東京青年会議所」という組織に入れて頂いております。
その東京青年会議所(以下「JC」と略す)には毎月「例会」というものがあります。
やれ京王プラザだとか赤坂プリンスだとか、そういういかにもリッパな会場でもって、日本の再建は如何に!?とか、自立型社会を支える教育改革とは!、とか、そういうテーマで「東京JCの運動の方向性や政策を確認する」場です。
・・・そんなことを書く前に、まず東京JCとは何ぞや?という事を説明しなきゃイカンわけですが、新米ペーペー会員であるワタシなどが説明するのもナンですので、以下、「東京JCの特質」という部分を引用させて頂きます。

ボクサー

「沢木耕太郎氏の全集読みまくり」もそろそろ終盤に入ってまいりました。昨日「深夜特急」を読了、そのまま続けて「一瞬の夏」に入りました。
「一瞬の夏」は、著者とカシアス内藤というボクサーとの「関わり」を綴ったものです。
陳腐な言い方ですが、ある才能あるボクサーの栄光と限りない挫折の物語、と言えようかと思います。

この作品を読むのは何度目かになるのですが、今回フト思い出しました。
むかーし住んでた家の隣がボクシングジムで、そこには、当時小学校低学年だったワタシにとってちょっと怖い感じの「おにいさん」らがたくさんいたこと。

小学生時代。当時私は江東区南部のとあるアパートに住んでたのですが、隣が世界王者を何人も輩出してる高名なボクシングジムでした。

・・・隠すような話ではなかろうと思うので書いちゃいますが、それは三迫ジムというジムで、当時は世界王者の輪島選手、東洋王者の門田選手といった選手が「看板」だった・・・はずです。
「はず」というのは、当時ワタシはなにしろ小学校低学年、いや、幼稚園だったかな?とにかくそういう年代で、有名な選手がたくさんいるということはわかってたものの、それがボクシング業界的にどんなレベルだったのかまではわかってませんでした。
しかし、時折テレビの取材や、タレントなんかも収録に来たりしてたので、輪島さんや門田さんは有名なんだな、くらいは理解してたような気がします。
そういうトップレベルの選手がいたこともあってか、ジムには若いボクサーたちが大勢いました。

ジムの中は極めて暗く、なんかオッカないオッサンの写真の額が飾ってあったりしまして(今考えるとそれは三迫会長の師匠であるライオン野口の写真だったのかもしれない)、とてもワタシのようなガキがオイソレと近づける雰囲気ではなかったのを覚えてます。

誰もいない時などにコッソリ中をのぞいたりすると、ジム内はトンでもなく汗臭く、なおさら近寄り難かったように記憶しております。

薄暗いは臭いはで、ジム周辺にはあまり近づく事も無かったのですが、唯一比較的気楽に近寄れるところがありまして、そこはどこかというと、ジムの裏になぜかあった、大きなハト小屋。
子供が3、4人入れるくらいの本格的なもので、整然とエサ箱などがレイアウトされ、ハトが10羽くらい飼われてたように思います。
金網越しに、よくボーッとハトを眺めてたりしたもんです。

このハト小屋の管理人(?)は、ジムの中でもとりわけ若いボクサーで、ジム内でもかなり期待されてる選手だったそうです。
前出の門田選手、たまに我が家にチケット売りに来てたりしたらしいんですが、そのたびに

“こいつは強くなります。宜しくお願いします”

と言ってたらしいです。

あれから30年も経ったというのに、我が実家の面々がこういうことをしっかり覚えてるというのは、それがよっぽど熱いものだったからに相違ありません。

門田選手と、このハト小屋管理人選手、どちらもいわゆる「みなしご」だったそうで、ハト小屋の選手は故郷からボストンバッグひとつで上京し、そのままジムに住み込みで練習してる、とのことでした。

ご本人は非常に無口で、普段はなんとなく影が薄いというか、地味で、色白かつヒョロヒョロな感じの青年でした。
天涯孤独で、10歳台で単身上京し、ボクシングに賭けてる若者・・・いわゆるハングリーボクサーの見本みたいな選手だったようです。
夕方、ひとりで小屋の掃除などしているこの選手の姿を何度か見かけました。

ずいぶん長い事、このハト小屋は稼動(?)してたのですが、ワタシの学年が増すにつれて少しづつ寂れ、いつのまにか小屋内はカラッポになり、やがて小屋そのものもいつのまにか無くなってしまいました。

管理人だったその若いボクサーも、いつのまにかその姿を見なくなりました。

そして、ジムもいつのまにかどこかへ引っ越していきました。

さらに我が家も引っ越しまして、その結果、ジムや、選手達、あのハト小屋も、ワタシを含めたホンの数名の記憶の中にのみその存在の痕跡を残している、というのが現況です。

あの管理人のボクサーは、竹森三城といいます。

当時のボクシングマガジンなどをひもときますと、かなり・・・世界王座までもの期待をされてた選手だったみたいです。

ヒョロヒョロで地味な印象しか無いのですが、ファイトスタイルは典型的なブルファイターだったそうで、ちょっと意外な感じがします。
もう50歳代の、いいオッチャンになっておられると思うのですが、どうされているのでしょうか。