2023年3月

「守秘義務」その他。

「守秘義務」ってあるじゃないですか。これの基準ラインのバラバラさにはもうビックリです。弊社のような業種の場合、まずなにか動画やサイトやらを作りたい・作らなきゃならないっていうお客様がおられて、その制作を代行してるって立場なわけですよ。要するに、ああ、自分で作れない?ほいじゃナンボか貰えるなら代わりに作ってあげますよ、って業態なわけです我々は。極めてザックリ言っちゃうと、ですが。

だから、そのお客様や代理店様の許可もなく“これが弊社制作物ですよ”って不特定多数に提示してしまうのは、オレは「違う」と思うのです。

「守秘義務」という概念の根っこにあるのは、この「違う」なんだと思う次第です。そこは「守秘」すべきポイントの大きなところじゃないですか。

しかしながら、平気で自社サイトなどで提示してる会社様が多い。これはもう「やたら」多いです。

皆さんクライアントや代理店様に許可もらってんのかね。とりあえずあまり上品じゃないですよねそういうのは。いや許可貰ってやってんならなんの問題も無いわけですけども。

ところで政治家の方の世界ですと、例えばA議員が長年携わって進めてきた案件があったとして、それがいよいよ実現!ってタイミングになった際、いきなりそれまで敵対していたB議員やC議員が“我々の努力が実りまして”とかなんとか言い出すケースがままある由です。こないだ来たる区議・区長選を見据えての区政報告会という名の総決起大会に行った時、思いっきりそれを「体験」したところです。

臆面もなくそういうことを言い放っちゃう候補者も候補者ですが、都度“そうだ!”とか“よくやった!”とか合いの手を入れる支持者?支援者の方々、あれは知ってて言ってんのか、もしくは知らないんだろうか、と。

でもそんなことを知らないような人が政治家の「支援者」になったりするもんかなぁ、と考えると、やっぱ知ってて言ってんだよな。

鉄面皮もしくは「鈍感力」ってことでは、我々のなにも違うところはありませんですね。

深川八幡祭り。

今年は「深川八幡祭り」が行われるとのこと。本祭りということで神輿56基勢揃いの連合渡御が執り行われます。

なんかずいぶん久々な気がしますが、実際久々の開催なんですよね思うに。

特に都市部における地域自治(組織)の有名無実化が盛んに言われる昨今、歴然たる「都市部」である江東区深川地区において、町内会ごとに神輿、それも結構なデカさの、さらになにしろ「水掛け神輿」ですから水を掛けても大丈夫なものを所持・管理されているというのは、これは結構稀なことなんじゃないかと思います。

コロナ禍だとかそういう事どもに頓着することなく盛大に行われるようで、なによりです。

約10年間ほど、このお祭りに文字通り「付きっきり」だった時期があります。あの頃はなにかって言えば神輿関係の取材ばかりしていた気がします。

本祭りは3年に一度ですが、その間の2年間は何にもないのかというと決してそんなことはなく、子ども神輿の連合渡御あり、お宮の神輿(二ノ宮)の渡御有り、やれ○○町で神輿を新調した・修繕した、△△町で神輿練習会がある、○日には幹部総代の会議がある、と、なにしろ一年中、っていうか年がら年中「お祭り」と関わりっぱなしの10年間でありました。

100万人からの人出が予想されるこのお祭りですが、刮目すべきポイントは、これが「単なる大イベント」というところに帰結してしまっていないところです。

いつだったかこの連合渡御の「10時間生放送」なる番組を作ったことがあります。その際に総代さんに耳にタコができるほど言われたのが、「単なるイベントとして採りあげるな」ということでした。

即ち、お祭りというものはあくまでも神事(の一環)であって、神輿はその名の通り神様の乗り物である。そのつもりで制作・放送しろ、と。

このことは思いの外ないがしろにされがちな事柄で、余所のお祭りなどには、この総代さんらの危惧してたような「単なるイベント」としてしか見られてないようなものも多い由です。

深川のお祭りはそういう視点で切り取るな、と、クドいようですが口を酸っぱくして言われました。いやホントに言われまくった。

実際「深川八幡祭り」には、神事としての崇高さがあります。これは参加したらわかります。

実際サケ飲んで神輿担いでる人もいなけりゃ、カラフルな肌の方々が神輿の上に乗ったり、ケンカしたり、なんていうことも「絶対に」ありません。

神輿の上に乗ってはっちゃけたり、ケンカなど大暴れしたいから祭りに参加する、というようなヤカラが多い中、このあたりが徹底できているというのはスゴいことだと思う。

深川八幡祭りは、そりゃもうトンでもなく賑やかな、盛大なお祭りです。

恐らくは猛暑の中での挙行となると思われますが、「水掛け祭り」という名のとおりこの神輿渡御はその道中で神輿に水を掛けまくります。なぜ掛けるのかには諸説ある由ですが、とにかくザブザブ、ドカドカ掛けます。

なので、8月半ばの開催ですからまぁ暑いことは暑いのですが、とりあえず合法的に往来で水浴びできるわけなので、暑気も自ずから払われます。

4トントラックに水を満載してバケツで掛けまくるは、消防団が放水車で散水するは、そりゃもう大騒ぎです。

おかげでオレは今でもカメラの防水化には大いなる自信を持っております。

本祭りの年は、前年の年末くらいから幹部総代の皆さんがピリピリしてて、オッカなくて弱ったものです。

以前初詣で取材の際に、神輿総代の方の娘さん息子さんにお会いしまして、その際に言われたことがあります。

“今年はあんましウチに寄りつかない方がいいよ”

と。

別にオレがなんかやらかして嫌われたとかいう話ではなく、要するに本祭りを控えてみんなピリピリしてるから、ヘタに会うと怒られるよ、ということです。

昨今はさすがにそこまでじゃない、と、こないだ和服を受け取りにいったときに呉服屋のオバちゃんがおっしゃってましたが、なにしろさぞかし皆さんお忙しいことでしょう。

無事な成功をお祈りしております。

コオロギその他、虫、ムシについて。

ついて。コオロギでもなんでも美味けりゃ食うわけですが、昔々に聞いたところコオロギはプリン体が結構多めなので痛風を気にする方には危険、とか。

あとまだエサの規制関係が無いので人間には不適なモノを食ってるやもしれず、ドンドン育ててガンガン食いましょう、となるまでにはまだ色々越えなきゃならないハードルがある、ってことでした。

昔々っていっても数年前くらいの話なのですが、その辺はクリアになったんですかね。なったからこれだけ色んなところで売られてるわけですよね。我が国の食品に関する規制は他国から顰蹙買うほど厳しいそうなので、それらを越えて出てきたモノですからまぁどうってことは無いんでしょうけども。

虫っていえば、某「とんかつ+お代わり自由なキャベツ&ライス&シジミの味噌汁」な店で夜メシを食った際、キャベツの中になんか虫が動いてたので、店員さんを呼んだら新しいのに替えてくれまして、これで一件落着かと思いつつ食い終わって勘定しに行ったら、なんとなんと!オレの食った分はお詫びとしてサービス=タダでOK、となった、ってことがありました。

たかだか虫がいたくらいでタダにしてもらったんじゃ申し訳ないので、レジのアンちゃんに、そんなこと気にせんでいいからカネを受け取れ、と言ったのですが、アンちゃん、ニヤッとニヒルな笑顔をひとカマシして、いやぁ、こちらの責任ですから(微笑)、と。

かくして当夜の夜メシは期せずしてタダメシになったのでした。

畑で穫れたものに虫がいるのは当たり前ですよね。まるっきりいない方が怖いよな。どういう土壌だよ、というね。

でもまぁ気持ちはわかります。キャベツやレタスの中に虫がいたら、やっぱし取っ払ってから食います。

前述の某「とんかつ+お代わり自由なキャベツ&ライス&シジミの味噌汁」な店での話からもわかるように、虫、ムシを躊躇なく食えるようになるにはまだ時間がかかりそうな気もします。

本田猪四郎とか小津とか北杜夫とか。

「娯楽作品のいいものが芸術作品であり、いかな芸術作品であろうとも、面白くなきゃ映画は駄目だ」。

なんていい言葉なのでしょう。まず娯楽作品であるべし、芸術作品とは娯楽作品の下部フロー、あくまで数多ある属性のひとつに過ぎない、ってことですね。ちなみに本田猪四郎の言葉です。「第七芸術」且つ「総合芸術」たる映画においてそうなんですから、全ての芸術なるものはかくあるべし、ですよ。

またいわく

「どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う」。

これは小津の言葉です。真理ですな。これ小津が結構若いときの言葉なんですよね確か。若くしてなかなかこういうところには至れないものですよ普通。いやさすがです。

でもって、この2発言を統合しますと、要するにひらたく言っちゃうと「オレが面白いと思えたものをおまえらも面白がれ」ってことになりませんか。

この実現には圧倒的な自己肯定の意識が必要な気がしますが、この類のパワーについて太宰は「巨腕」と表現しておりますね。シェイクスピアに対して「天才の巨腕を感じる」と、これはなにで読んだかまるで覚えてないのですが、シェイクスピアって言ってるくらいなので「新ハムレット」だと思います。多分。いや知らんけど。

要するに、良い作品を作るにはまずパワーが必要だってわけですね。

そして、自らのパワーと折り合いをつける程度の理知。

ただ「巨腕」を振り回してるばっかりじゃなく、内なるパトスを御するだけの理知的な部分が無くちゃアカンでしょうからね。この「内なるパトス」ってのは北杜夫のお言葉です。マンボウ先生が「幽霊」をモノするまでくらいの、湧き上がって湧き上がって処置に困る己がパワー、これを持て余してた時期についての表現でした。

関係ないですが北杜夫作品で一番「面白い」のは「大日本帝国スーパーマン」です。大日本帝国スーパーマンが米国のスーパーマンに勝負を挑む、というお話です。

今しがたフト思い立って当作のレビューを探してみましたが「あまりにバカバカしくて面白くなかった」とありました。これだけで必読ということがおわかりになるかと思います。異論は認めます。