話は千路に乱れる。

以下は毎日JPhttp://mainichi.jp/からの引用です。

「真っ赤なシャボン玉ができたよ!」。スペースシャトル「ディスカバリー」に乗り組んだ山崎直子宇宙飛行士(39)が、長女、優希(ゆうき)ちゃん
(7)の「無重力では色つきのシャボン玉が作れる?」という疑問に実験で応えた。

 優希ちゃんは2年前、幼稚園の自由研究で「色つきシャボン玉」に関する疑問を発表した。入浴剤で着色したお湯で作ったシャボン玉は、なぜか透明に
なる。父、大地(たいち)さん(37)と試してみると、シャボン玉の下のしずくだけに色がつくことが分かった。「しずくができない無重力なら色がつくか
も」と、宇宙飛行士の母に謎を託した。

・・・こういうのも、例の「仕分け人」諸氏にかかると、

「そんなんがわかったところでどうだっていうんですか!?」

みたいな話になっちゃうんでしょうか。少なくとも”なりかねない”のは事実でしょうね。シャボン玉の色がどうであろうと、取り急ぎ銭にはならな
いってのは、これはホントです。

ただ、無重力でシャボン玉の色がこうなるってことがわかって・実証されることによって初めて生まれる事柄もあるでしょうから、こういうのを無駄と
言ってしまってはいけない。それは即ち技術の死、引いては技術立国としての死を意味します。

いや、「仕分け」そのものに文句言ってるわけではありません。実際問題として無駄なこと、非効率的なことも多いんでしょう。岡目八目といいまし
て、外部からの目によってそういう諸々に初めて気付かされる、なんてなことも多かろうと思います。もはや我が国には「意味の無い無駄」を許す余裕もそうそ
う無いはず。だからこの際「仕分け」そのものは肯定すべき・・・というか、肯定せざるを得なかったりするでしょう。それが現実です。